1992年にコーカサス山脈でフライトを始めました。当時はパラグライダーを探して購入することは非常に困難でした。そこで最初はロシアのパラグライダーSPP-30と2つのパラシュートを縫い合わせて作成、フライトを始めました。それには安全性はなく短いフライトでした。その当時はパラグライダークラブやスクールはありませんでした。5分間のフライトの為だけに高さ300mの山で1日15回ハイキングをしていました。今ではパラグライダーは私の人生になくてはならないものです。パラグライダーはより安全になり、優雅に飛べるようになりました。フライトはより長く、より遠く、したがってより素晴らしくなります。パラグライダーは私の人生の主要な役割の1つであり、それが私の職業になりました。スロベニアへのパラグライダー旅行中のパイロット達をサポートサービスをしています。